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責任を取るということ

 最近忙しくて更新ができませんでした。「忙しい」という言い訳はよくありませんね。書けなかったには、私なりに理由がありました。発言をするということ、たとえそれが私的ブログであっても世の中に自分の意見を発表するという行為には、責任が付き纏うのでは?という恐れにも似た感覚が、私の中で頭をもたげ「この話題は適さない」とか、「社会批判ばかりしても何も解決しない」と自問自答を繰り返していたわけです。
 その間に、宮崎県では、そのまんま東(東国原英夫)知事が誕生し、柳沢伯夫厚生労働相が2度も失言でマスコミを賑わすし、ニュースに振り回されています。ところで政務調査費で問題視されていた大臣がお二方ほど(伊吹文明文科相と松岡利勝農相)いらっしゃいましたが、新し物ズキのマスコミの取材は、いつの間にかやくざの仁義なき戦い「六本木私闘編」へ向いているようです。
 やくざの皆さんには、「指ツメます」というその世界ではきちっとした(あくまでも昔、東映の映画で見た世界ですが…)責任の取り方があるようですが、政治家の世界ではどう責任を取るのが仁義なんでしょうかねぇ???
 「ご批判はご批判としてしっかり受け止め、責務をマットウします」と仕事で結果を出すのも方法でしょうし、「責任を取って辞任します」というのも選択肢でしょう。企業ならこの他に「左遷」とか「減俸」「降格」とかありますよね。辞任は降格でしょうか?ちょっと意味合いが違うような気もします。
 公人である人たちの場合、全てが公に詳らかに公表されることが求められます。そうした場合、マスコミの論調は、鬼の首を取った如く正義を振りかざし、ヒステリックに言及します。市井の小市民である私なんかは、「そうなんだ悪い奴だ!」一緒になって思ってしまう……。

 ご本人の責任、マスコミの責任、受け取る市井の市民の責任、それぞれに問題がありそうです。
もちろんご本人は、きっちりとした責任を取る必要があります。
マスコミには、ドラマ化(脚色)しない公平な報道姿勢。
私たち市民には、ことの本質を見抜く判断力が必要でしょう。

 実は、私にはひとつ気がかりなキーワードがあるのです。
いじめ問題で各テレビ局、新聞社が、特番や特集を組み大騒ぎしました。
どの番組か忘れましたが、その時「いじめに立ち向かわずに転校する選択肢もある。真っ向から戦わなくてもいいじゃない?」という発言がありました。その発言を受け、番組全体の論調が、「逃げろ!」に向かいました。その後、著名なニュースキャスターをはじめ、様々な人たちが「いじめから逃げろ」の論調になってしまいました。
 「本当に逃げるだけでよいのでしょうか?」
 私には、最初の発言は「君子危うきに近寄らず」と感じたのですが、その場の皆さんは、「逃げろ」と感じられたようです。
 「近寄らず」と「逃げろ」では、全く意味が違います。「逃げろ」では、「失敗した。逃げろ!」「うまくいかない。逃げろ!」「勉強したくない。逃げろ!」「掃除?めんどくさい。逃げろ!」になってしまいます。責任は、誰が取るのでしょう?
 こんなことを書いていると文責を追求されそう!逃げろ!(笑)

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