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『眼力』と『視力』

 先日、久々に私が勝手に先生と仰ぐ伊吹卓先生にお会いできました。先生との出会いは、20年程前私が某会社で中間管理職をしていた頃、偶然に古本屋で手にした『 「バカ」になれる人ほど「強く」生きられる―“新しい自分”に生まれ変わる人生の特効薬 』を購入したことに始まります。(結局この本が、サラリーマン人生からの決別のきっかけになったわけですが・・・)それからかれこれ5年後に大阪市内のマンションの1室で電話とワープロ1台で商売を始めることになりました。そしてまたもや偶然に同じマンションの同じフロアに『商売科学研究所』の看板を目にしたのです。『商売科学研究所』?忘れもしません、「私なら、なんたらビジネスリサーチとかカタカナのかっこいい名前を付けるのに・・・」と思った本の奥付に書かれた伊吹先生の会社の名前です。
 訪問しようか?どうしようかと迷って数日が過ぎたある日、先生の部屋の前をいつものように通っていると中から矍鑠とした老人が出てきて、一緒にエレベーターに乗り込むではありませんか。恐る恐る『伊吹先生ですか?』と尋ねると、にこりと微笑まれて『はい』とのお返事。たぶんそのあと、先生の本のこれとこれと読んだとか先生のファンだとか一方的に口走ったと思います。その後は、ことある毎に先生のところへ入り浸って先生の生の言葉で先生の智慧(言葉では表現できない空気というか空間も含めて)を拝借しています。

 さて、今回お会いして『眼力』と『視力』というお話を伺いました。何度も伺っているお話なのに不思議と先生の発せられる言葉はなぜか新鮮に聞こえます。ついついはじめて聞くお話のように引き込まれていくから不思議です。
 ゲームソフトの『眼力(メジカラ)トレーニング』ではありません。『眼力(ガンリキ)』です。江戸時代にメガネが伝わるまで、日本には視力と言う言葉はなかったそうです。「メガネを掛けると目が良く見える」でもこれは、眼力ではない。と言うことで視力という言葉が生まれたそうです。日本人は、眼力を大切にしてきた。「審美眼」や「目が高い」、「眼の付け所が違う」と言った言葉でもわかるように表面を見るのではなく、本質を見抜く力=眼力と表現されてきたそうです。先生の著書には、着眼力という言葉が良く出てきます。『苦情法』と『着眼法』というビジネスにおいて最もシンプルかつ本質を突いた原理を説かれたのも先生です。

 私たちは、つい表面ばかりを見てその本質まで見抜くことができないことが多いものです。上っ面を見てわかった気になる。伊吹先生に(勝手に)師事して10年以上にもなるのにちょっと油断すると上っ面しか見ていない自分を自覚させられました。

 先生のオフィスの本棚に毛筆で
   欧米人は『はじめに言葉ありき』
   日本人は『はじめに事実あり』
と書かれた紙が貼ってありました。気になりますねぇこの言葉。

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