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2008年11月11日

死刑廃止問題

10月31日の毎日新聞に国連の規約人権委員会から日本政府に対し、「死刑制度を廃止するよう死刑廃止へ向けた取り組みを日本政府に求める勧告を盛り込んだ『最終見解』を公表した」という記事が載っていました。
死刑廃止論は、市井の賛同も得やすく耳当たりの好い論です。
しかし、死刑の廃止即ち文明国的な論調を聞くと本気で凶悪犯罪の防止や基本的人権を考えているのかと不安になります。
断っておきますが、私自身が、加害者、被害者共に両方の立場から犯罪に巻き込まれた経験のある人間ではありません。普通に生きる一市民です。
 以前に宮崎勤死刑囚の死刑執行の際にも書いたことがありますが、私は死刑擁護派です。
理由は、制度を持つことと実施することは別であると考えるからです。
「制度は維持しつつ使わずにすむ社会」理想論ですが、それを目指すべきではないかと思います。制度だけを無くして表面だけを綺麗にしても犯罪は絶対に減りません。
飲酒運転の罰則をいくら強化しても、飲酒運転は減らないという人もいますが、私たちの周りでは「クルマですから烏龍茶お願いします」という人が増えていませんか?
善悪の教育には、時間がかかります。少しずつしか変わりません。
ただし、人を殺すという行為は、善悪ではありません。善悪を超えた最も基本のルールです。このルールを守らせるためには、最も厳しいペナルティーが必要です。万死をもって、償うのが人としてのあり方ではないでしょうか?
当然のことながら、正当防衛であったり、止む無き理由がある場合、司法の手で充分に審議されてしかるべきでしょう。

「人を殺してみたかった。」
「誰でもよかった。」
「一人で死にたくなかった。」秋葉原無差別殺人
「死ぬことはわかっていたが、警察に捕まりたくなかった。」大阪ひき逃げ殺人
こんな身勝手な人に殺されて、それでも私たちはその人たちを守らなければならないのですか?

これも11月7日の新聞ですが、高齢者の犯罪が増えているとのこと。増加の理由は、刑務所に入れば食べるところと寝るところの心配が無くなるからとだと報じていました。
まともに生きてきた人間が、終の棲家を刑務所に求めなければならない国になってしまったんです。


犯罪者のなかには、立派に更生し社会に役立つ人となられていらっしゃいます。
ただし、再犯が多いことも事実です。