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死刑問題の重さ

 鳩山法相は、17日午前、記者会見で、「慎重にも慎重な検討を加え、数日前に私が死刑執行の命令を下した」と述べたという記事を、報道各社のニューで目にした。
 国会議員でつくる「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長)は、死刑制度の見直しを求める鳩山法相にあてた申し入れ書を提出したという。
 個人的には、死刑のない国が理想であるし、そうあって欲しい。しかし、一方で多発する残虐な犯罪、ことにまったく無関係な第三者を被害者とする犯罪の報道を見るにつけ必要ではないかという思いに傾く。
 今回、特に宮崎勤死刑囚=連続幼女殺害事件について、様々な論説がなされている。同死刑囚は、死刑確定後の2006年6月、絞首刑の残虐性を唱え、「薬使用死刑執行の方法にしなければいけないのである」と月刊誌に手記を発表している。(時事通信)個人がなにを考えようが自由ではある。しかし、この発言を目にした私は、「この死刑囚が、自分の犯した罪の重さを理解し、悔い改め、被害者の冥福を心から祈ることはありえない。」と感じた。何の落ち度も罪もない被害者が、死に直面したときの気持ちを考える想像力が、まったく欠如している。この期に及んでも考えるのは我が身か。「個人」ばかりを尊重した教育の結果であろうか?
 法律から死刑を無くすことが、文明国として進んだ国(文化水準が高い国)という幻想を追ってはいまいか?

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