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食住足りて礼節を知る

 私がまだ小学生の頃だったと思う。明治生まれの祖母からよく聞かされたのが「食住足りて礼節を知る」と言う言葉でした。
 家が貧しかった祖母は、満足に学校へ行けず専ら家の手伝いをして幼少期を過ごしたという。そして、口減らしのために12歳から住込みで奉公に出たとのことでした。当時、田舎の農村では特別珍しいことでもなく当たり前のこととしてその境遇を受け止め、奉公に出ることにより親の負担を減らすことが出来、幾らかでも仕送りが出来れば恩返しも出来ると幼いながらも考えていたそうである。
 奉公先では、仕事は大変だったが娘のように可愛がってもらったそうです。旦那さん一家には、祖母と同じ年の女学校に通うお嬢さんが居り、お嬢さんからも妹のように接してもらい、要らなくなった学校の教科書をいただいて、子守の仕事の合間に独学でいろいろなことを勉強したそうです。「学校に行きたかった。勉強がしたかった。」と言うのが祖母の口癖でした。
 今の私たちは、恵まれ過ぎて、ご飯が食べられること、勉強が出来ることが、至極当たり前のことのように感じています。私たちは、食住足りて礼節を知ることが出来たのでしょうか?地球上には、飢えで苦しむ子供たちが3億5000万人もいます。途上国には、学校へ行きたくてもいけない子供たちがたくさんいます。
 豊かさが実感できない国、日本。未来への夢をもてない国、日本。その原因は、政治、経済、社会・・・いろいろあるのかもしれません。
 でも、世界に目を向けてください。この国は充分に豊かな国です。そして自分の夢は自分で描くものです。誰かが永遠の富と未来を保障してくれることを望んでいませんか?
 今を大切にそして他人の幸せを妬むのではなく素直に喜べる心と他人の不幸を吾が事のように受け止める心を持てたら世界は変わります。
 

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