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コンプライアンス

 ミートホープ社の事件以降、原材料、消費期限、原産地等々偽装事件が後を絶たない。幸いなことに食中毒などの被害が生じていないのでまだよかった。と考えながらそうした事故が起きていない事が、経営者や管理者に危機感を持たせない原因かもしれないという思いが頭をよぎる。また多くの経営者が、記者会見で最初に発する言葉が、現場の末端社員がやった事で会社ぐるみではないという責任逃れとも取れる発言である(記憶する限り、殆どが後々経営陣の指示である)。こうした発言を見るにつけ経営者の無責任振りが気になる。
 私とて他人を批判できるほどの聖人君子ではないが、自分が経営する会社で社員が失敗を犯し、お客様にご迷惑を掛ければ、当然のことながら管理者である私の責任であり、1社員に責任を押し付けることは考えられない。ところが、今問題になっている会社の殆どの経営者が平然と社員のせいにするのである。しかも不二家、赤福、船場吉兆どの会社も老舗のその業界のリーダー的な企業だ。
 安泰な経営の上に胡坐をかき社員の顔もお客の顔も見えなくなってしまったのか?いやいやそんなに単純な問題ではなさそうな気がする。
 今この国の舵取りをする人たち、例えば政治家・財界人・上級公務員、こうした人たちが、問題を起こし証人喚問や記者会見を行なうと何かしら『欺』あるいは『疑』を感じる。明らかな偽証として裁かれる場合もあるが疑いを持ちつつうやむやになることも多い。ひょっとしてこの国では、上に立つことは、上手に責任逃れが出来る人あるいはその術を身に着けることが条件なのかとさえ感じてしまう。
 私たち一般市民は、法律を守らなくてはならない。上に立つ人たちは、法律を作り、人を裁き、社会を作り、人を作る人たちである。法律以上に高い倫理観と使命感を持っていただきたい。幸い私がお会いする、大学教授や学校経営者、社長の多くは、そうした気概と高い理想をお持ちである。

 コンプライアンスとは、遵奉の精神である。それは、法律、家訓、信条であり自分自身の処世であろう。大切なことは、皆がどうしているかではなく、自分自身にとって正しいことであるか否かである。私たちは、自分自身の生き方に哲学を持たなくてはならない。

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