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2008年06月26日

食住足りて礼節を知る

 私がまだ小学生の頃だったと思う。明治生まれの祖母からよく聞かされたのが「食住足りて礼節を知る」と言う言葉でした。
 家が貧しかった祖母は、満足に学校へ行けず専ら家の手伝いをして幼少期を過ごしたという。そして、口減らしのために12歳から住込みで奉公に出たとのことでした。当時、田舎の農村では特別珍しいことでもなく当たり前のこととしてその境遇を受け止め、奉公に出ることにより親の負担を減らすことが出来、幾らかでも仕送りが出来れば恩返しも出来ると幼いながらも考えていたそうである。
 奉公先では、仕事は大変だったが娘のように可愛がってもらったそうです。旦那さん一家には、祖母と同じ年の女学校に通うお嬢さんが居り、お嬢さんからも妹のように接してもらい、要らなくなった学校の教科書をいただいて、子守の仕事の合間に独学でいろいろなことを勉強したそうです。「学校に行きたかった。勉強がしたかった。」と言うのが祖母の口癖でした。
 今の私たちは、恵まれ過ぎて、ご飯が食べられること、勉強が出来ることが、至極当たり前のことのように感じています。私たちは、食住足りて礼節を知ることが出来たのでしょうか?地球上には、飢えで苦しむ子供たちが3億5000万人もいます。途上国には、学校へ行きたくてもいけない子供たちがたくさんいます。
 豊かさが実感できない国、日本。未来への夢をもてない国、日本。その原因は、政治、経済、社会・・・いろいろあるのかもしれません。
 でも、世界に目を向けてください。この国は充分に豊かな国です。そして自分の夢は自分で描くものです。誰かが永遠の富と未来を保障してくれることを望んでいませんか?
 今を大切にそして他人の幸せを妬むのではなく素直に喜べる心と他人の不幸を吾が事のように受け止める心を持てたら世界は変わります。
 

2008年06月18日

死刑問題の重さ

 鳩山法相は、17日午前、記者会見で、「慎重にも慎重な検討を加え、数日前に私が死刑執行の命令を下した」と述べたという記事を、報道各社のニューで目にした。
 国会議員でつくる「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長)は、死刑制度の見直しを求める鳩山法相にあてた申し入れ書を提出したという。
 個人的には、死刑のない国が理想であるし、そうあって欲しい。しかし、一方で多発する残虐な犯罪、ことにまったく無関係な第三者を被害者とする犯罪の報道を見るにつけ必要ではないかという思いに傾く。
 今回、特に宮崎勤死刑囚=連続幼女殺害事件について、様々な論説がなされている。同死刑囚は、死刑確定後の2006年6月、絞首刑の残虐性を唱え、「薬使用死刑執行の方法にしなければいけないのである」と月刊誌に手記を発表している。(時事通信)個人がなにを考えようが自由ではある。しかし、この発言を目にした私は、「この死刑囚が、自分の犯した罪の重さを理解し、悔い改め、被害者の冥福を心から祈ることはありえない。」と感じた。何の落ち度も罪もない被害者が、死に直面したときの気持ちを考える想像力が、まったく欠如している。この期に及んでも考えるのは我が身か。「個人」ばかりを尊重した教育の結果であろうか?
 法律から死刑を無くすことが、文明国として進んだ国(文化水準が高い国)という幻想を追ってはいまいか?