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2007年07月28日

「英語の著作権問題」の問題

 鬱陶しい梅雨が明け、夏の日差しが凶器のように照りつける私の苦手な季節がやってきました。
 さて、今回の話題も英語の著作権処理です。この数日の間に英語の著作権に関わるたくさんの皆さんとお会いする機会を得ることが出来ました。
 大学英語教科書協会の会議にお招きいただき入学試験問題の英語の著作物の利用状況、問題点について意見を交換させていただきました。私たちもCopyrightの表記が無い場合や不明な場合、唯一の情報である国内の出版社に尋ねざるを得ません。しかし出版者であることと著作権者であることは別で、エージェントを通じ海外のライツホルダーから許諾を得て出版されているもの、出版のために書き起こされたオリジナル文章またその著者との契約も書籍によって異なるものです。現在の状態が大学や印刷会社・塾・問題集業者とそれぞれから問い合わせが殺到し、出版社の皆さんにとっては甚だ迷惑な事態である事は推測できます。
 しかしながら、許諾無く勝手に二次利用されることは、海外のライツホルダーとの関係を考えると「出版者の責任としても適正な許諾処理へ向かうよう取り組む必要があるのではないか」というのが、今回私がお招きいただいた趣旨でした。

 また、海外著作権連絡協議会の役員の皆さんとも入学試験問題の英語の著作物の利用状況、問題点について意見を交換させていただきました。海外申請の現状と問題点を確認しあう形になりましたが、小会のように大学からの依頼で申請を行う場合、依頼者(大学)へCopyrightの提示を求めることが出来ます。ところが海外著作権連絡協議会の場合、二次的に利用する立場ですから大学へCopyright情報の提供をお願いするにとどまります。
 世界中の出版物から切り取られたワンフレーズを頼りに探すという途方もない作業です。仮に書籍が見つかったとしてもエディションが違えば、出版社が違ってきます。また振り出しに戻りながら地道な作業を繰り返しておられるようです。

 いわば大学英語教科書協会は著作権者側の団体であり、海外著作権連絡協議会は二次利用者側の団体でその中心にあるのが大学や高等学校の入学試験の英語の問題という図式になるわけです。
 双方との意見交換で問題点がかなり見えてきました。その問題点は、「出所の明示」「改ざん」「作品のセレクト」の3点に絞られます。

1.出所の明示
 国語については、9割近くが、明示されるようになりました。英語については、まだ3割程度で特に国立大学の問題に表記の無いものが多く見られます。以前に大学の問題作成担当教員の集まりでこの点を指摘したところ、「出所の明示は、その慣行がある場合であるから英語には慣行が無いから表示しなくてもいいのではないか」と質問を受けました。入試問題全般を見ると英語のみが表示をしておらず不自然にみえます。確かにCopyrightを全て載せるとものによっては丸々1ページ必要とする場合がありますので最終のホルダーの情報だけでもかまわないと思われます。問題を作成する先生方には、二次利用が前提である昨今の入試問題を考えると問題作成時からCopyright情報の保存は、必須項目として考えていただきたいものです。

2.改ざん
 設問のための虫食いやページ数の制限からの一部分の抜き取りは、国語同様にしかたの無い問題です。海外の著作権者へ許諾申請をする際もそれほど問題にはなりません。問題となるのは、文意を書き換える程の改ざんがなされている場合です。なぜそこまで書き換えるのか意図がわからないものが見受けられます。2、3文章からヒントを得て作文される場合は、オリジナルと言えるまでの推敲していただきたいものです。そうすれば許諾を得る必要も無く堂々と利用できるのではないでしょうか。

3.作品のセレクト
 また、「高校生の学力レベルに合わせるために(改ざん)」ということもよくご説明いただきますが、そうした文章を問題文へチョイスすること自体疑問を感じます。

 
 大学側にもさまざまな事情があることは、先般「入試過去問題活用宣言」の幹事をなされている岐阜大学の佐々木嘉三副学長にお会いした際にもご教授いただきました。入学試験制度が抱えるさまざまな問題の中で著作権問題が新たな負担となっていることは間違い無い事実です。かといって無視することも出来ない問題であり大学側にも適切な対応をお願いしたいところです。

 入学試験という制度そのものが、根本から変わらない以上、問題作成者と出版社、二次利用者が協力し合い、受験生へ完全な形での情報提供(過去問提供)が出来るシステムの構築が望まれます。


2007年07月06日

英語が問題だ

 国内の著作権処理もまだまだ問題が山ほどあるが、海外の著作物は問題だらけで小会のスタッフも毎日頭を抱えている。国内でも出版社や新聞社、管理団体によって著作権法の解釈(運用)が微妙に違うが、海外ではさらに振れてくる。国が違えば、法律も違う。それは解る。内国民待遇だから日本の法律に従って処理をすればよい。その通りだ。しかし私たちが行うのは、実質的な権利処理である。数千円から数万円の海外取引である。数百文字から数ページの売買である。
 世界は広い。「それ位ならわざわざ言わなくてもいいよ」という人もあれば「一冊丸ごと買え」という人もいる。(煩わしいからそう言って断っているのかも?) 300字以下なら自由に使えますという出版社があれば、400字以下なら自由に使えますという大学。アメリカのフェアユースに至っては、日本人の理解を超えている。
 そんな状態で何を信じればよいのか?もうこれは戦いである。言われるままであれば、整合性が取れない。そんなこともあり7月末から英国へ調査に行くことにした。イギリスでは、どうなっているのか?この目で見て聞いてこなければ、日本の英語の入試問題の公開は、違法状態から脱却できない。
 そんなわけで調査と交渉を兼ねて英国を訪問することにしました。訪問先はオックスフォード大学他出版社を予定。
訪英報告は、このブログやシンポジウム・セミナー等でいたします。乞うご期待。

2007年07月02日

久間章生防衛大臣のしょうがない発言

 久間防衛大臣が講演で米国による原爆投下について「しょうがない」と発言した問題が、物議をかもしている。私の伯父は、被爆が遠因で他界した。原子爆弾が投下されて3日か4日後に親族の安否を確認するために長崎に行き間接的に被爆したという。当然のことながら直接被爆ではないので被爆者手帳も支給されず晩年は後遺症に悩まされていた。長崎に近かったため、子供の頃、原爆の話をよく聞かされた。長崎出身の久間防衛大臣がなぜあんな発言をするのか理解に苦しむ。原爆のことを被爆の悲惨さを知らない今の都会の子供ならいざ知らず、被爆地の出身の代議士が、である。
 そして、安倍総理の例のごとく擁護発言、世論が批判を強めると厳重注意。この首相にしてこの大臣あり。この方には、哲学が無いようである。まるで視聴率を気にするTVディレクターのように視聴者の顔色を伺う。もうこの内閣に何を期待しても無駄のようである。
 それにしてもこんな人に防衛大臣という国防の要を任せてよいのであろうか?
 中東問題がもっと拗れたら「原爆を落として解決。まあこれもひとつの解決方法。しょうがない」とでも言うのか。北朝鮮から核ミサイルが飛んできたら「まあこれもしょうがない。アメリカに報復ミサイルを打ってもらいますか」
 「武力解決はあってはならないことである」
この原則がなければ、全ての交渉は無駄な作業である。仮に武力衝突が、起きたとしても対話を閉ざしてはならない。出来得る限りの対話が必要だ。
 無能な総理大臣は、またしても無能ぶりを遺憾なく発揮している。なんとか水大臣を死に追い詰め、巨大な悪の迷路をうやむやにしたかと思えば、年金問題。これも具体的な作業スケジュールもないままにちゃんとしますという空手形の乱発。そして今回の発言とその対応。まるで、プロのトーナメントに間違えて出ちゃったゴルフ初体験の「恥かき王子」。